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不完全な社会をめぐる映画対話──映画について語り始めるために(河野真太郎/西口想)

2,640円

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不完全な社会をめぐる映画対話──映画について語り始めるために 河野 真太郎/西口 想(著) ISBN:978-4-909237-93-4 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909237934 【試し読み】ハラスメントがある世界で、いかに作品と向き合うか https://note.com/horipub/n/nf32d9b76f04c こんな映画本を待っていた! 「陰謀論」、「ハラスメント」、「ケア」、「ミソジニー」、「障害」etc...テーマに沿って、現代映画を社会的な視点で語るスリリングな対談。 「好きだった監督がハラスメントで告発されたとき、作品にどう向き合えばよいのか?」「一昔前の作品を見るとジェンダー観に違和感を覚えて楽しめない」等、近年多くの人が直面した問題に寄り添いながら、映画と社会の関係を深く見通す。誰もが感想をSNSで発信し、映画を見ることがコミュニケーションに組み込まれつつある現代で、映画と社会はどのような関係にあるのだろうか?映画を「観る」だけでなく、「語る」ことの比重が増す社会における、新たな地平を描く。 ●RHYMESTER 宇多丸さん推薦! 「社会が変わり、映画も変わった……映画の見方は、変わったか。 我々自身を問い直す、鋭くも愉快な対話集。シリーズ化希望!」 ●取り上げる作品 『君たちはどう生きるか』『セッション』『天気の子』『ジョーカー』『パラサイト』『ドライブ・マイ・カー』『プラダを着た悪魔』『万引き家族』『マリッジ・ストーリー』『ドント・ルック・アップ』『バーニング』『カモン カモン』『エイブのキッチンストーリー』『ファントム・スレッド』『アイ・アム・サム』『クレイマー、クレイマー』『シェフ』『SWEET SIXTEEN』『ノマドランド』『コーダ あいのうた』『ケイコ 目を澄ませて』『クルエラ』『メイド・イン・バングラデシュ』『オートクチュール』『ミセス・ハリス、パリへ行く』『幸せのレシピ』『二ツ星の料理人』『ミッドナイトスワン』『スキャンダル』『スタンドアップ』『サンドラの小さな家』 etc... ●取り上げるキーワード ハラスメント、陰謀論、ケア、男性性、ミソジニー、ネオリベ、#MeToo、トランスジェンダー、マルチバース、障害 etc... ●目次 まえがき──映画と社会についての短い個人史 西口想 【対話1】ハラスメントがある世界で、いかに作品と向き合うか もはやハラスメントの教科書?──『セッション』 「ハラスメントを気にしていたらいい作品は生まれない」というメッセージ いま見ると気になる描写も多いフェミニズム映画──二〇〇〇年代の代表作『スタンドアップ』 社会進出は進んだけれど……──女性たちのリアル 監督のハラスメントをどう考えるか? 被害者と加害者の訴えは「五分五分」ではない 批判がないと、作品が死ぬ──過去の作品をどう評価するか? トランスジェンダー表象の変遷と発展──『トランスジェンダーとハリウッド』 かつて批判されたパターンを踏襲する日本のトランス表象──『ミッドナイトスワン』 「クリーン」な現場で生まれる作品はつまらない? コラム ミーガン・トゥーイーの悪夢 西口想 【対話2】「シャカイ」を描くセカイ系──新海誠作品を読み解く 新海作品で描かれる感性的なもの キャラクターの背景を描かない 「大丈夫」というメッセージの変質 バニラトラックを描くことが、社会を描くことなのか 村上春樹の男性性と帆高 ミソジニーを脱却できない「男の成長物語」 コラム セカイとシャカイのあいだで──新海誠と宮﨑駿 河野真太郎 【対話3】社会を描くとはどういうことか──ケン・ローチ作品 希望のないラストの衝撃 ラストに至るまでの「希望」 家族しかいないことの絶望 ケン・ローチが描いてきた家族 時事性に回収されない、ケン・ローチの作家性 個人の成功をあえて描かない 「ケアラーなのに悪態をついてごめんなさい」 ケン・ローチが描く女性と男性 ケン・ローチと是枝裕和──作品の違い、社会の違い 映画が社会的であるということはどういうことか 個人を描くことから始める 【対話4】陰謀論は、お好きですか? 『ドント・ルック・アップ』と陰謀論 陰謀論はどう変化してきたか? 陰謀論とキリスト教の切っても切れない関係 ネオリベラリズムと大富豪──ハデンとイッシャーウェル ヒロイン像の変化──ミソジニー描写を通じて 一九九〇年代を代表する陰謀論映画──『ファイト・クラブ』『マトリックス』『アメリカン・サイコ』 マルチバースと陰謀論──『マトリックス』とマーベル作品 陰謀論にどう立ち向かうか──『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 家族主義的な「愛」に対する違和感 さまざまな映画オマージュが持つ意味 ありえた可能性のなかで最低の人生 映画は常に陰謀論と隣り合う 【対話5】それは誰のための映画か──障害と物語 障害を扱った感動作──『コーダ あいのうた』 感動のために障害者を搾取していないかを考える 『コーダ』は誰のための映画か? 健常者向け/障害者向けという線引きの先に コミュニティからの離脱をどう描くか──『リトル・ダンサー』と『コーダ』 新自由主義下の障害者政策 社会がつくりだす障害 一般化できない経験にどう向き合うか 「私の物語は私のもので、コーダにしかわからない」 「ろう者として生まれたかった」は何を意味するのか ケアラーをケアするのは誰か コラム 『ケイコ 目を澄ませて』と障害者のワークフェア 河野真太郎 【対話6】「当事者」が演じることについて──移民・難民と映画 日本で生活する移民たち──『マイスモールランド』 世代間トラウマを乗り越える──『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』再び 繰り返し主題になってきた世代間トラウマ 当事者性と創作の関係 悪意なき差別を丁寧に描く 「見えていない」が、確かに存在する移民社会 社会派映画はなぜ失敗するのか──手法の難しさ 当事者が表に立つ重要性と危険性 「当事者」とは誰なのか 鍵となる概念──インターセクショナリティ コラム 現在地としての『ファミリア』 西口想 【対話7】ケアと男性性──苦悩する男たち ケアと男性性──『ドライブ・マイ・カー』 人間の多重性・矛盾を受け入れること ホモソーシャリティを切り崩す多声性 暴力性が外部化された人物造形 イクメンになる男、最初からイクメンの男──『クレイマー、クレイマー』『マリッジ・ストーリー』 障害と男性性──『アイ・アム・サム』の障害表象 養育権をめぐる法廷闘争──『マリッジ・ストーリー』 解決されない暴力性 コラム 『カモン カモン』とイクメン物語のゆくえ 河野真太郎 【対話8】映画のなかのミソジニー──能力と傷をめぐって ポピュラー・フェミニズムとポピュラー・ミソジニー──#MeToo以降のヒット作を読み解くキーワード 失われた地位を「取り戻す」物語 『ジョーカー』のポピュリズムをどう捉えるか? 原作にはなかった階級性、地域性を織り込む映画たち 「格差」に比べて、あまり意識されない「階級」 弱者男性にとっての父親──『ジョーカー』『バーニング』 いまさら父を越えている場合じゃない──『パラサイト』の親子関係 メリトクラシー社会が崩壊した先の女性たち 【対話9】ファッションを通じて何を描く? 映画に衣装は欠かせない 「お針子」映画とブランド創業者の映画 ポストフェミニズム映画の重要作品──『プラダを着た悪魔』 『プラダを着た悪魔』を上書きする『クルエラ』 女性ヴィランの暴力をどう描くか? 仲良く過ごすために毒を盛る?──『ファントム・スレッド』 ファスト・ファッションの時代に映画は何を描くか? コラム 「透明人間」の夢 西口想 【対話10】おいしい映画──ジェンダー・料理・労働 さまざまな文脈が託される「料理」のシーン 2つの類型──「シェフ」の物語と「料理研究家」の物語 料理の過程を見せる作品/出来上がった皿を見せる作品 料理の描写と性描写の重なり 料理とジェンダー──求められる男性像の変化 不完全な人間でよい、という提案 主婦とバリキャリ女性の対比 半径五メートルの世界を快適に整える現代性 レシピを介して、目の前にいない誰かとつながってゆく レシピと「コモン・カルチャー」 【対話11】 住むこと、住まいを失うこと ケン・ローチのエッセンスを継ぐ作品──『サンドラの小さな家』 生活の基盤としての「家」を問う 偶然でしかつながれない?──階級コミュニティなき時代のコミュニティ ケン・ローチが描く「家」の意味──『SWEETSIXTEEN』 金融危機で消失した家とコミュニティ──『ノマドランド』 公共・福祉の稀薄さから見えるアメリカ社会 家の獲得に紐づいた男性像と、女性のセキュリティ 人間にとって「家」とは何か、「老い」とは何か──『ミナリ』『ファーザー』 「働き続ける主体」という幻想 コミュニケーションとしての映画──あとがきにかえて 河野真太郎 ●前書きなど 私たちの対話は断続的に四年以上続いた。その過程で得たのは、思いのほかシンプルな楽しさだった。観た映画の面白さやつまらなさを何とかして言語化して、信頼する相手に伝え、私の感想とは違う反応が返ってくること。一つの作品から受け取ったさまざまな側面について、表面的な筋書きを超えて話し合い、対話するなかでもう一度作品の形をなぞって作り直していくこと。 対話を通じて、話すテーマだけでなく、話すこと自体が共同体や社会的なものと触れる行為であるように感じた。本書を手にとってくれたあなたがこの対話から面白さやつまらなさを感じ、語られている内容とは別のことを考えて言葉を見つけ、信頼する誰かに伝えてくれたらとても嬉しい。その繰り返しによって映画と社会はつながりを取り戻し、豊かになっていくのではないか。 ──西口想「まえがき」より ●制作 装丁・本文デザイン:森敬太(合同会社 飛ぶ教室) 印 刷:創栄図書印刷株式会社 ●著者プロフィール 河野 真太郎 (著/文) 1974年山口県生まれ。専門は英文学、イギリスの文化と社会。専修大学国際コミュニケーション学部教授。東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。一橋大学准教授などを経て現職。著書に、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版、現在ちくま文庫化)、『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)等多数。 西口 想 (著/文) 1984年東京都生まれ。文筆家、労働団体職員。大学卒業後、テレビ番組制作会社勤務を経て現職。著書に『なぜオフィスでラブなのか』(堀之内出版)がある。

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